白木つくりのあかるくやわらかな雰囲気の店内、焼きたてのもみじまんじゅう、宮島杓子、宮島彫りほか、宮島の伝統と風土に育まれてきた特産・名産の数々を取り揃えてお待ちいたしております。
宮島杓子は、寛政年間(1789~1801)に僧誓真(せいしん)が弁財天の持つ琵琶の形からヒントを得て、島民に作り方を教えたのが始まりといわれています。宮島杓子は、巧妙な技法と工夫によって、飯粒がつきにくく、木の匂いがご飯に移らず、また熱によっても変形しない優れた杓子として高く評価されています。日清・日露戦争時には、全国から召集された兵士が広島の宇品港から出征する際、厳島神社に無事な帰還を祈願し、「敵をめしとる」という言葉に掛けて杓子を奉納し、故郷への土産物として持ち帰ったことから、全国的に知られるようになりました。
宮島彫り、宮島張子が有名です。
宮島彫りは、ほとんど下絵のない木肌に直接鑿で彫り進めていくのが特徴であります。その技法には、浮かし彫り・しずめ彫り・すじ彫りという技が用いられ、まさにその作品は、繊細で非常にデリケートな装飾を施された彫刻アートであります。宮島彫りは、塗りや色の少ないものが多く、それは「使い込むほど本物になる」という木本来の自然の持ち味を活かし、例えばお盆等は、こぼれたお茶を丁寧に伸ばし時間と愛情をかけ大切に育むことで、初めて品格と息吹がその作品に宿るのであります。
宮島張子とは、世界の数国と日本に古くり伝わる伝統技術及び技法を当地宮島に取り入れ、それを基に瀬戸内海の温暖な気候風土の中で生きる動物達や現在に伝わる文化遺産等をテーマにした民芸玩具であります。製作は宮島民芸工房(広島県廿日市市宮島町663)において行われています。
宮島彫りは、ほとんど下絵のない木肌に直接鑿で彫り進めていくのが特徴であります。その技法には、浮かし彫り・しずめ彫り・すじ彫りという技が用いられ、まさにその作品は、繊細で非常にデリケートな装飾を施された彫刻アートであります。宮島彫りは、塗りや色の少ないものが多く、それは「使い込むほど本物になる」という木本来の自然の持ち味を活かし、例えばお盆等は、こぼれたお茶を丁寧に伸ばし時間と愛情をかけ大切に育むことで、初めて品格と息吹がその作品に宿るのであります。
宮島張子とは、世界の数国と日本に古くり伝わる伝統技術及び技法を当地宮島に取り入れ、それを基に瀬戸内海の温暖な気候風土の中で生きる動物達や現在に伝わる文化遺産等をテーマにした民芸玩具であります。製作は宮島民芸工房(広島県廿日市市宮島町663)において行われています。
瀬戸内名産のかきやあなごを加工した塩辛、浜焼き、佃煮、蒲焼等の海産珍味類やかきめしの素、あなごめしの素が有名です。また野沢菜・高菜とならび3大漬物と称される広島を代表する広島菜を使用したお漬物の「広島菜漬」は、かき・あなごと共にお土産のひとつとして喜ばれています。
ちなみにかきは、海のミルクとまでいわれる非常に栄養素の高い食べ物です。
ちなみにかきは、海のミルクとまでいわれる非常に栄養素の高い食べ物です。
宮島焼(みやじまやき)とは、広島県廿日市市で焼かれる陶器。
廿日市市は対岸に宮島を望み、その厳島神社参拝の際の縁起物として焼かれました。
別名を神砂焼(しんしゃやき)、御砂焼(おすなやき)とも呼び、宮島の砂を粘土に混ぜて焼いています。
これは元々、近郷の賀茂郡の村人らが旅行に出かける際に、宮島の砂を「お砂守」として拝受し、無事に帰郷した際には、その砂で土器(お砂焼)を作り、宮島の神前に供えたという慣習に因んでいます。
廿日市市は対岸に宮島を望み、その厳島神社参拝の際の縁起物として焼かれました。
別名を神砂焼(しんしゃやき)、御砂焼(おすなやき)とも呼び、宮島の砂を粘土に混ぜて焼いています。
これは元々、近郷の賀茂郡の村人らが旅行に出かける際に、宮島の砂を「お砂守」として拝受し、無事に帰郷した際には、その砂で土器(お砂焼)を作り、宮島の神前に供えたという慣習に因んでいます。